言えぬ言葉(昼+総大将)


ほんのりと淡く光る月の下
目の前で黒い羽織が翻る
いってらっしゃいと小さく呟いた声は―…



□言えぬ言葉□



シンと静まり返った屋敷の中。もそもそと小さな塊が布団の中で動く。

「…ん…ぅ」

ころりと寝返りをうち、目を閉じては、若菜に教えられたばかりの未を数えるという作業を繰り返す。

ひつじがきゅーひき、ひつじがじゅっぴき…ひつじが………ぎゅうぎゅうでもう入らないや。

ぱたっと今度は仰向けに転がり、リクオは柵の中にいっぱいになったもこもこのひつじを思い描いて、ぱちりと目を開けた。

「………」

そして徐に、んしょ、と寝転がっていた体を起こして布団から抜け出す。

今夜は鯉伴を筆頭に屋敷の大半の妖怪が出入りに出てしまい屋敷の中は静かだった。

そんな人気の少ない屋敷の中を、リクオは自分の枕をぎゅっと腕に抱き締めて自室から出る。

若菜は鯉伴達がいつ帰ってきても良い様に、リクオを寝かせた後、夜食を作る為に台所にこもってしまっていて。

「………」

人気も少なければ明かりも少ない廊下をリクオは一人とぼとぼと歩く。

「……ぁ」

やがて目的の明かりが漏れる部屋を見つけて、リクオはぱぁっと嬉しそうに顔を輝かせた。

近くに行くに連れとたとたと早足になって、明かりの漏れる部屋の前に立つ。

「おじいちゃん、入ってもいーい?」

「ん?リクオか?良いぞ」

枕を左手に抱え、右手で障子を右に滑らせる。すぃと滑り良く開いた障子の向こう側に、ぬらりひょんが煙管片手に寛いでいた。

こちらに向けられた金色の切れ長で涼やかな目と、リクオの真ん丸い茶色の瞳がぶつかる。
小さな手で抱えている枕に気付くと、ぬらりひょんはふと表情を崩し、煙管の火をカンッと青竹で出来た灰吹き、竹の筒の中へ落として言った。

「どうした?眠れぬのか?」

煙管を持つ手とは逆の手で来い来いと手招きされ、リクオは室内へ足を踏み入れる。

「…ん」

きちんと開けた障子を閉めてから、リクオは胡座をかいて座るぬらりひょんの前まで足を進めた。

すると片手が伸びてきて、リクオの柔らかい栗色の髪をくしゃくしゃと撫でる。

「よしよし。…そうか、今夜は出入りの日じゃったな」

普段が騒がしいだけに寂しくなってしもうたか。

直ぐ横に置いてあった、取っ手付きの、側面には蒔絵の描かれた煙管盆の上に煙管を置き、ぬらりひょんは盆ごと端へ避けて、首を傾げるリクオを胡座をかいた自分の足の上に座らせた。

「おじいちゃん?」

頭を撫でられて、ほわほわと緩んだ顔がぬらりひょんを下から覗き込む。

「いや、何でもない。それよりリクオ、寝れぬのならワシと一緒に寝るか?」

「……いいの?」

ぱっと嬉しそうにしたのは一瞬で、リクオは次の時にはへにょりと不安そうな表情をみせた。

妖怪の時間はこれからだと、妖怪に囲まれて育つリクオは幼いながら理解している。

「なぁに構わんさ。ワシがリクオと一緒に寝たいんじゃ。嫌か?」

そんなリクオの不安を吹き飛ばす様にぬらりひょんがカラリと笑って言えば、リクオはぶんぶんと首を横に振った。

「いやじゃないよ!ぼく、おじいちゃんと一緒にねる!」

ぽろりと手にしていた枕を落として、ぬらりひょんにぎゅうと抱き付く。

「そうかそうか」

抱き付いてきたリクオの後頭部をさらりと撫で、ぬらりひょんは嬉しそうに瞳を和らげ、だらしくなく頬を緩めた。

「そいじゃ寝るとするかの」

「うん!」

ぬらりひょんの足の上から退いたリクオは、落とした枕を拾う。合わせて立ち上がったぬらりひょんが奥の部屋へと続く襖を開ければ、部屋の中央には既に布団が敷いてあった。

とととっとぬらりひょんの足元をリクオが通り抜け、布団に近付くと枕元にしゃがむ。

「リクオ?」

不思議に思い眺めていると、リクオは元から布団の上に置いてあった枕を左にずらし、自分の枕を右に並べて置いた。

そして満足そうに笑ってぬらりひょんを振り返る。

「えへへ…」

ちょっぴり頬を薄紅色に染めて、悪戯が成功した時の様にリクオは笑った。

「ふっ…、可愛いことを」

枕元で待つリクオに近付き、その髪をぐしゃぐしゃと撫でる。

左の枕をぬらりひょんが使い、右の枕にリクオが頭をつける。

リクオはころりと体を横向きにし、枕に肘を付き、その手の上に頭を乗せて、眠る気配の無いぬらりひょんを見上げた。

「寝ないの、おじいちゃん?」

「ん?寝るぞ。ほら」

ポンポンと眠りを促すようにぬらりひょんは布団の上からリクオの体を軽く叩く。

「……ん」

「ワシはずっと隣におる、安心して眠れ」

ポンポンと緩やかなリズムでそれを繰り返す。
するとあんなに眠れなかったのが嘘のように、徐々にリクオの思考は微睡んでいき、…瞼がおりた。

「……すぅ…」

シンと静かな室内に小さな寝息が落ちる。

ときおりむにゃむにゃと動く小さな口に、ぬらりひょんは微笑を溢す。

「ったく、鯉伴の奴は何をしておるんじゃ。とっとと片付けて帰って来んか」

布団に入ったものの、寝ることなくぬらりひょんは健やかな寝息を立てるリクオを見つめる。

それから少しして着物の擦れる音が近付いて来た。

「すみません、お義父さん。リクオがこちらに来てませんか?」

襖越しにかけられた声に、ぬらりひょんは小声で応える。

「リクオならワシの布団で良く寝ておる。今しがた寝入ったばかりでな、起こすのは少々忍びない」

「まぁ、そうでしたか…」

どうしましょう、と困った様に呟いた若菜にぬらりひょんが続ける。

「リクオは一晩ワシが預かっておくから若菜さんは鯉伴の面倒を見てやってくれんか。まだ帰ってこんのじゃろ?」

「えぇ…。お言葉に甘えてリクオのことお願いできますか?」

「おぅ。こっちは気にせんでいい」

ありがとうございます、と律儀にお礼を言って遠ざかって行った気配からリクオに視線を戻す。

「すぅ…すぅ…」

「鯉伴の奴にはちぃと言ってやらねばな」

出入りもいいが、リクオに寂しい思いをさせるなど。

すっかりお祖父ちゃんらしくなった奴良組総大将が、父親としてはまだまだ未熟な二代目に、説教する姿がのちに屋敷の中で見られたそうな…。

「そこへ座れ、鯉伴」

「いきなり何だよ親父?」

………。



end



[ 73]

[*prev] [next#]
[top]



- ナノ -